久しぶりの北鎌倉・・・東慶寺
先日Nさんから、「週末に京都に行かない? 旦那がいないからゆっくり行けるから・・・」とお誘いがありました。
「あいにく私は放送大学の面接授業があって行けないよ。京都のどこか行きたい所があるの?」ときいたら、「安井金刀比羅宮、縁切りで有名なところ」
「それなら明日鎌倉に行こうか?」すかさず言ってみました。
「東慶寺にね」Nさんからすぐにこのお寺の名前が出ました。
そうして翌日朝10時に横浜で待ち合わせ
横須賀線に乗り20分ぐらいで、北鎌倉に到着
ゆっくり歩いて5分ほどで「東慶寺」に着きました。
東慶寺(鎌倉)、Japan Travel Walking. Tokeiji in Kamakura.
縁切寺と言われているお寺、もう少し暗い感じかと思いきや、とても清々しくこの暑さの中、あじさいがまだ咲いていました。とてもみずみずしくて涼やかに感じました。
あじさいだけでなく桔梗や山百合、コスモス、名前を知らない花々があちらこちらにひっそりと咲いていました。
草木の緑と花々に心が休まります。
東慶寺は今から約720年前、弘安8年(1285)に北条時宗夫人の覚山志道尼が開創いたしました。封建時代、女性の側から離婚できなかった時代に、当寺に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として明治に至るまで600年の永きにわたり、縁切りの寺法を引き継いできました。 明治4年(1871)には縁切りの寺法は廃止となり、尼寺の歴史も明治35年(1902)に幕を閉じました。 明治38年(1905)に釈宗演禅師が入寺、中興開山となり、新たに禅寺としての歩みを始めました。 師の高徳ゆえ、門下には居士、哲学者、政財界人多く、鈴木大拙もその一人でありました。 のちに裏山に「松ヶ岡文庫」を設立、世界的禅文化の発展の拠点ともなりました。
現在では、かつての尼寺の風情を残す境地に、四季折々の花々が参拝客をお迎えしています。 皆様がこのお寺に来て、心の安らぎを感じられるよう願っております
以上 東慶寺のこと より
御本尊は釈迦如来像
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参拝の後、ショップまつがおかに入りました。
お土産は後にして、聖観音菩薩立像をみて、階段を上がり入館料100円を納め、「東慶寺中興開山 釈 宗演老師 墨跡展」を観ました。
こじんまりしたスペースに、書や小物がひっそりとありました。
白隠の達磨が目を惹きました.。
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本年は、東慶寺中興開山 釈 宗演老師の遷化(僧侶が亡くなる事)より、100年の節目の年だそうです。
それを記念して慶應義塾大学アートセンターで開かれている催しがあるようです。
http://www.art-c.keio.ac.jevents-events/event-archive/shaku2018/
少し行くと何とも言えない香りがしてきました。多分白百合の香りなのでしょう。左側に何輪か咲いていました。
少し進んで右手に「用堂尼」のお墓に続く長い階段が並行して2か所にありました。
結構な段数がありそうで、Nさんとどっちから登るのか思案しつつも、やっぱりやめようということになり先へ進むと、数人の女性たちと尼僧に会いました。
なんだかうれしくなってニコニコしていたら声をかけて下さいましたが、私は何と言っていいかわからず、通り過ぎてから振り返って立ち止まり「こんにちは!」なんて、間の抜けたご挨拶になってしまいました。
出口のところの女性に聞いたのですが、今日は「鈴木大拙」さんの命日で「大拙忌法要」にいらしていたそうです。
近代日本最大の仏教学者とも言われる「鈴木大拙」、Nさんはよく知っているようでした。
私はその時初めて知りました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E6%8B%99
こんなにすごい人物だったのですね。
私がここ数日夢中で読んでいる放送大学教材「心理臨床とイメージ」の、インターネット放送授業の、「夢分析」「アクティヴ・イマジネーション」「ユングの個性化過程とイメージ」・・・「赤の書」手元に置いて読みたい!
なんだかとても良い日に参拝したようです。
ショップでこれを買いました。
中はこんな感じです。
Nさんはこんなお守りを買いました。
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悪縁を切り良い縁を結ぶ
人と人の縁だけでなく、仕事や病気、ギャンブルその他いろいろ・・・
この後、私たちは10分ほど歩いて浄智寺へ