私が味わった不思議な感覚、そしてドイツにつながる事

その日私は、小学生の息子のサッカーの試合の観戦で、鶴見川沿いの土手にいた。

試合の合間に、同じマンションのSさんと話をしていた。

すると突然私は、「ね~Sさん、すごく澄み切った人が近づいて来るよ!」と言っていた。

Sさんは、「えっ?」と不思議そう・・・

「もうすぐ、ほら・・・ほら来た!」と私は小声で言った。

 

「こんにちは!」と声が聞こえた。

振り向くと、そこには見慣れない外国人男性がさわやかな笑顔で立っていた。

どうやらSさんはその人を知っているらしかった。なんだか私も知っているような気分になり、お天気のこととか少しおしゃべりをして軽く会釈をして、その人は通り過ぎた。

「ねぇ、Sさん、知ってる人なの?」と聞いたら、「ゲルトさんでしょう。フリューゲルスのユースのヘッド・コーチをされてるのよ。」

サッカーに詳しいSさんは、名前と顔をよく知っていた。

私は、サッカーは息子がやっているから好きだけれども、サッカー自体のことはあまり詳しくなかった。

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それにしても、その後にも先にもこんな感覚をは 味わったことはない。

本当に不思議な体験だった。

その後しばらくして、ゲルトさんは、息子達の通う小学校に指導に来てくれた。

まさしくあの時初めて知ったゲルト・エンゲルスさんだった。

 

それからしばらくして、同じマンションに住み、ドイツ学園に勤める女性のお誘いで、息子たちがドイツ学園で、サッカーを教えてもらう日があった。ブッフバルト選手やオッツェ選手などのドイツ選手たちに出会えるという貴重な経験をした。

 

そのとき偶然息子のサッカーボールは、ドイツの国旗が小さくプリントされたものを使っていた。

ブッフバルトが、みんなに「ボールを貸して・・・」って言っているのに、誰も貸さないから、コロコロって転がしたんだ」と息子はうれしそうに言っていた。

ドイツ語、わかるはずもないのに・・・

 

サッカーにあまり興味のない人や若い方たちは知らないかもしれない、かつてJリーグに横浜フリューゲルスというチームがあったことを・・・

そして伝説とも語られる天皇杯第78回大会 1999年1月1日

その時の監督がゲルト・エンゲルスさんでした。


感動 ~ 負けたらクラブ消滅 Jリーグ最大の「事件」 前園真聖 遠藤保仁も在籍した横浜フリューゲルス 天皇杯・決勝 "名勝負"

 

優勝して消滅するチームなんて、悲しすぎました。

JR横浜線の駅前で署名活動をしている選手たちの姿が目に焼き付いています。

 

ゲルト・エンゲルスさんについて詳しくは

     👇

ゲルト・エンゲルス - Wikipedia

監督・ヘッドコーチ成績
天皇杯優勝 5回(1993, 1998, 2002, 2005, 2006)
J2優勝 & J1昇格 1回(2001)
J1ステージ優勝 1回(2004-2nd)
J1年間優勝 1回(2006)
J1年間準優勝 3回(2004, 2005, 2007)
ナビスコカップ準優勝 1回(2004)
ゼロックス・スーパーカップ優勝 1回(2006)
AFCチャンピオンズリーグ優勝 1回(2007)

こんなに素晴らしい結果を出した人が、他にいるのだろうか・・・

 

それから、サッカーとは違うことで、

その頃、なんだかドイツ関係にご縁があり、娘たちはドイツの作家ミヒャエル・エンデの書いた「モモ」の市民ミュージカルに出たのだった。

 

私は、その前に本を読んでいたこともあり、オペラ「モモ」も観ていた。

オペラもよかったけれど、子供たちがたくさん出演する「モモと時間どろぼう」の方が、気に入った。

 

それから2年数ヶ月が過ぎ、夫の仕事の関係で、私たち一家横浜市からさいたま市に引っ越した。

 

息子はすでにサッカーをやめていた。

 

その後、あの鶴見川沿いの土手で体験したような不思議な感覚、澄み切った人が近づいて来るのがわかる感覚には出会っていない。

できることならもう一度ぐらい、そう思える人に出会ってみたい・・・