トイレの話・・・(*^-^*)
こんな話ですみません(#^^#)
今朝、トイレがちょっとおしっこ臭い気がして、息子に聞いてみました。
「ねぇ、おしっこ飛ばさなかった? なんか臭い気がするんだけど・・・もし飛ばしたら、自分で拭いといてね。」
「いいや~、俺、最近座ってしているから」と息子
「あら、そうなの。お父さんも座ってしているみたいだけど・・・」と言った後、私はすぐにお掃除に掛かった。
それにしても、最近男性も小をするとき座ってしているのだろうか?
私が初めてそんな男性の話を聞いたのは、3年ぐらい前になる。そのお宅では、奥さんが旦那さんに頼んだと言っていた。
そういえば、テレビでも、以前芸能人の誰かがそんなことを話しているのを聴いた。
このままみんなが個室を使うようになったら、駅のトイレや公共施設やなんかも、待ち時間が長くなりそうだけど、まぁ今のところは大丈夫かな・・・(;´・ω・)いや、そんな問題じゃなくて、家庭の中だけの話みたいだから・・・
などとのんきに構えていたけれど、ちょっとググってみたら、
こんなまとめブログがあって、驚きでした。
そもそも男性が座って小用をたすのは、飛び散り汚れを防ぐため。
これは、掃除をする人にとってはメリットがあります。
ところが、男性が座ってすると、体に悪いらしい。
男性の体は立って排尿するのが構造上、自然な作りになっているので、これを無理やり座った状態で排尿することにより、腹筋に力が入らず残尿になるそうです。
そして、この残尿が原因で炎症を起こし、排尿障害や前立腺肥大を起こす場合があります。
前立腺に障害が起こることにより、膀胱ガンや精巣ガンなどに繋がる可能性もあるそうです。
下記ページにも、さらに詳しく書いてあります。
https://www.murakamibooks.com/shitting/
これは男性だけでなく、女性、特に旦那様に、「座って用を足して!」と言ったことのある、もしくは思っている女性も知っておくべことです。
男性諸君 立ち上がれ!
そして汚したら、自分で拭きましょう!
できれば・・・ですけど。
私の引越し体験記・・・part1
1980年11月、巷ではあるカップルの結婚の話題でウキウキ盛り上がっていた頃、私は、高校時代からの親友の誘いで、東京駅に降り立った。
確か銀の鈴で待ち合わせをしたはずだが、なかなか会えずにさすがに不安になったのを覚えている。
かなりウロウロしたせいか、会えたのは夜になっていた。あの時は親友が神に見えた。(ちょっと大げさかな)
確か、赤羽で青い電車に乗り換えて・・・おっと違った(;´・ω・)・・・これは彼女のところへ初めて遊びに行ったときだから、その時は、丸ノ内線の盲腸みたいな・・・そう、方南町へと向かったのだった。
http://www.tokyometro.jp/news/2009/img/2009-59_2.jpg
翌日から私は、彼女のお陰で今まで知らなかった新しい体験をすることになった。
しばらく彼女のところに居候させてもらおうかな~なんて調子のいいことを思っていたが、なんだか急に恋愛関係でお悩み中の彼女が彼と急接近したので、私はそそくさと彼女の部屋から徒歩10分ほどのアパートを借りて、一人暮らしを始めてしまった。
駅前の不動産屋さんに飛び込んだら、鹿児島出身の親切なご夫婦で、女性だけのこじんまりした小さなアパートを紹介してもらい、ついでに電器屋さんも紹介してもらって、テレビとこたつと若草色の洗濯機と冷蔵庫を買った。まとめて買ったので、思ったより安く買えた気がした。
東京駅に降り立ってから、1週間はかからなかった。
新大久保の職安で仕事を探しながら、渋谷のオペレーター学園に行って資格を取ることにした。
巷ではいよいよ有名カップルの結婚式が終わり記者会見の模様が放送されていた。
本当に素敵なカップルですね。
私もうれしくなって、元気をもらった気がした。
ひとり暮らしって、意外と簡単に始められるものだと実感した。
少しずつ食器を揃えたり、田舎から必要な服を送ってもらったりして、あっという間に生活感たっぷりの部屋になった。
部屋の間取りは6畳の和室と3畳ほどの台所に和式水洗トイレ・・・お風呂は無かったが、近所に2軒の銭湯があり、気持ちよく過ごせた。銭湯で売ってたコーヒー牛乳がとってもおいしかった。コインランドリーで、乾燥だけして、待ってる間まんがを読むのが好きだった。
この時の引越しは、身軽だったのでとても楽だった。
ただそれまでに貯めたお金が多少あったから、すぐに行動に移せたと思う。
田舎で易者さんに言われたとおり、方向と時期がとてもよかったせいか、東京都民の仲間入りをして、新しい暮らしが始まったわけだが、親友が居てくれたおかげで、私は安心とやすらぎも得られた。
待ち合わせはいつも、新宿の高野フルーツパーラーで、そこからいろんなところへ行き、いろんな人たちと出会った。
仕事も遊びも一生懸命、若いってそういうことなのかな☆彡
そのアパートで4年ほど暮らし、次の引越しは、近所のマンションへ・・・
part2もそのうち書きます。
よかったらまたお立ち寄りくださいね・・・(*^-^*)
恩賜箱根公園・・・癒されました(*^-^*)
8月初旬に箱根旅行をしたときの最終日、ここで過ごしました。
爽やかな風が吹く
かつて皇族の避暑地「箱根離宮」
その痕跡を残す恩賜箱根公園へ
(公園だより 2017年 夏号より)
こちらの湖畔展望館から、上の写真の景色を見ることができます。
この日は曇り時々晴れでしたが、あいにく富士山を見ることはできませんでした。
どうやらここ1ヶ月ほど富士山が見えなかったようで、昨日ようやく見られたそうです。
その日は、かなり歩きました。
こんな道を通って
塔の鼻展望台へ
この後、ヤマユリや紫陽花を眺めながら、芦ノ湖の水際で少し休みました。
静かで、やわらかな陽ざしとゆるやかな風が心地よい・・・
まだそこに居たいような気もしたけれど、そんなわけにもいかず車に乗り込みました。
どうやらそのあとしばらく立ち入り禁止になった場所があったようです。
「ハチ」が出たということです。
あら、そういえば、私たちハチに遭遇しましたよ。でも、静かにしてたら、いつのまにかどこかへ行ったようでした。
今夜、食後に今日生協から届いた[蜂蜜ロールケーキ」を食べていたら、テレビから「山田養蜂場」のCMが流れてきておかしかったです。ハチつながりで・・・
ここで、恩賜公園について調べてみました。
恩賜公園(おんしこうえん)は、第二次世界大戦前に宮内省が御料地として所有していた土地が、公に下賜(恩賜)され、整備された公園である。なお、同様に庭園が下賜された場合には、恩賜庭園と呼ばれる。
恩賜公園
上野恩賜公園(東京都台東区) 1924年、東京市へ下賜
井の頭恩賜公園(東京都武蔵野市・三鷹市) 1924年、東京市へ下賜
猿江恩賜公園(東京都江東区) 1924年、東京市へ下賜。ここまでの3公園は皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)の成婚を記念した下賜。
有栖川宮記念公園(東京都港区) 1934年、高松宮より東京市に下賜。下賜の経緯は当該項目を参照。
恩賜箱根公園(神奈川県箱根町) 函根離宮跡地(関東大震災にて倒壊)。1946年に神奈川県に下賜
恩賜庭園
浜離宮恩賜庭園(東京都中央区、有料) 1945年、GHQの要求により東京都に下賜
旧芝離宮恩賜庭園(東京都港区、有料) 1924年、東京都に下賜。上記と同様、皇太子裕仁親王の成婚記念。
OriHime・・・分身ロボット(*^-^*)+
ラジオを聴き逃したら、インターネットで聴けます。
1週間以内なら、また地域によっては聴けないかもしれないのですが、アクセスしてみてね☆
時間のある時に、ゆっくり聴けるんですね。
なんて、試しにもう一度聴いているところです、私
分身ロボット「OriHime」(おりひめ)の開発者の吉藤健太朗さん
そもそも子供の頃、体が弱く、小学校5年生から中学2年生頃まで不登校だったそうです。友人に宿題やノートを持ってきてもらったりしていたそうですが、遠足にも行けなかったし、クラスメートであるという感覚がなかったそうで、みんな私のことを忘れてしまっているんじゃないかとも思ったそうです。
みんなと一緒に参加したくてもできない寂しさ・・・
身体を運ぶことができない人にとって、そこに自分がいるという実感を持つにはどうしたらよいか?
様々な理由で離れた場所にいる人が、同じ時間を過ごすにはどうしたらよいか?
身体を移動させなくても心を運ぶようなモビリティを作ろうと、2009年の大学生の時に決心したそうです。
そのあとは、こちらのテレビ番組でご覧ください。
私も以前見ました。
バンキシャ オリィ研究所 吉藤健太朗 分身ロボット OriHime
吉藤さんは折り紙が好きで折り紙の先生をやっていて、オリィと呼ばれていたとか・・・
6畳一間のオリィ研究室から始まったのですね。
努力と研究と優しさから生まれた「OriHime」
きっとこれからますます世界中で活躍してくれることでしょう!
OriHime・・・分身ロボット(*^-^*)
廃墟の鳩・・・♬
今朝、この曲が浮かんできたと、夫が口ずさみ始めた。
私は、その歌を知らなかった。
何だかいい、とっても・・・
夫は、今日も仕事。
仕事の前、そう、これから朝ごはん・・・
そんな時によく浮かんだものだと思うけれど、私も時々口ずさむことがある。
無意識に・・・
似たもの夫婦なんだとつくづく思った。
すぐにきいてみたかったので、私のガラケーで検索、すぐに見つかったので、何度も聴いた。
覚えやすい歌詞なので、書いてみます。
口ずさんでみてね(^^♪
廃墟の鳩
作詞…山上路夫
作曲…村井邦彦
人はだれも 悪いことを
覚えすぎたこの世界
築き上げた楽園(ユートピア)は
こわれ去った、もろくも
誰も見えない廃墟の空
一羽の鳩がとんでる 真白い鳩が
生きることの喜びを、今こそ知る 人はみな
汚れない世界(よ)を この地上に
再び創るために 人は目覚めた
生きることの喜びを 今こそ知る 人はみな
動画と歌詞が同時に見られるこんなサイトもあるのですね。
知りませんでした。
今日思い出したこと
朝食の片づけを終えて、私は口笛を吹きながら夫の傍を通りかかった。
「機嫌がいいみたいだね?口笛を吹くときは、いつも機嫌がいい時だよ。」と夫が言った。
「うん、そうだね。でも、なんでそう思うの?」と私。
「だって機嫌の悪い時に、口笛を吹く気になれないでしょう。」
そう言われて納得した私は、ふと祖母の言葉を思い出した。
「うちの田舎では口笛のことを『うそ』っていうんだよ。子供の頃、夜に口笛を吹くと、おばあちゃんに、夜に『うそ』を吹いたらいけないと言われて、いつのまにか夜には吹かなくなったんだ。理由は聞かなかったけど、何か霊的なことがあるのかもしれない。」
「ああ、そうかもしれないね」と夫もうなずいた。
うちの家系は霊感が強いのかもしれない・・・」
私は子供の頃、おばあちゃんと畑に行くのが好きだった。どうしてかというと、おばあちゃんそのものも好きだったけれど、畑に行くと、いつもとは違う話をしてくれたから・・・。なかでも一番記憶に残っているのは、おばあちゃんのお母さん、つまりひいばあちゃんが、一度死にかけた時の話だ。細かいことは忘れてしまったけれど、誰かに「お前が来るところではない!!」と言われて、追い返されて目を覚まし、生き返ったらしい。
子供の私に、畑仕事の手伝いがどれほどできていたのか、むしろいつもより時間がかかったかもしれない。なにしろおばあちゃんの話に興味津々で、夢中になって聞いていたから・・・
あの世でも、誰かにいろんな話をしている気がします。
・・・で、霊的な話で思い出したのが、『桧原湖の思い出』
どうやら夫もそうだったようで、「そういえば桧原湖で泊まった時・・・」とはじまった。
今から20年ぐらい前の5月の連休、私達は子供達を連れて、2泊旅行に出かけた。
行先は福島県の裏磐梯、桧原湖近くのロッジ。夫の仕事関係の知り合いがロッジを開いたという話を聞いて、そこに決まった。
裏磐梯にはまだ雪が残っていて、往きの車の窓から、可愛らしい雪だるまが見えた。
その日は、桧原湖でのんびり遊んだ。
足漕ぎボートで、私は息子と、夫は娘たちとに分かれて乗ったのだが、どちらもものすごく不安定で、モーターボートが近くを通った時は、はんぱなく揺れて、お互いのボートを見ては心配し、「沈んだらどうしよう・・・」という恐怖を存分に味わった。
時間内に戻れたのが不思議なくらいでした。
ロッジに戻り、お風呂と夕食を終えて、みんなぐっすり眠りにつきました。
私一人を除いては・・・
浅い眠りの中、誰かが私の左手首をつかみ、ものすごい力で引っ張るのです。ひんやりした空気を感じながら、私は、壁の中にひきずり込まれるような、でもそこは、壁ではなくて違う空間のような感覚に襲われました。
私は、言葉にならない静かな叫びをあげていたようにも思います。
きっと何かがあったんだ。この辺りで・・・
翌日、磐梯噴火記念館に行ってみた。
そこでわかったのは、明治21年7月15日に会津磐梯山が噴火して、裏磐梯が生まれたこと
山頂部分での噴火は10数回に及び、最後の噴火では山体が崩壊し、大量の岩石、土砂などが時速80㎞を超す爆風に乗って流れ下り、北麓の谷を埋め、磐梯山の北側は巨大な高原大地になった。
この崩壊によって、いくつもの川がせき止められ、桧原湖ができた。
たくさんの人々や家屋、田や畑が被害を受けたことでしょう。
桧原湖の湖底には、桧原村が水没しており、現在でも昔の集落にあった神社の鳥居や墓石が顔を出す場所があるそうです。