久しぶりの北鎌倉・・・浄智寺
7月12日(木)20年来の付き合いのNさんと北鎌倉へ
こちらの続きです。
東慶寺でのんびりした後、「お腹も空いてきたね~」なんて言いながらも、歩いて5分ぐらいかな~、浄智寺でお参りしてから・・・布袋様のおなかを撫でてからお昼ごはんにしようということになりました。
浄智寺(鎌倉)、Japan Travel Walking. Jochiji in Kamakura.
いつものデジカメを持参するのを忘れたので、ここからはガラケーの画像になります。
こちらのお寺も緑が多くハイキング姿の人たちも多かったです。
可愛い花たちがあちらこちらに、こちらもひっそりと咲いていました。
こちらで5,6人の男性が蓮の花が咲いているのを眺めたり、南北朝時代の仏像を写真に収めていました。
そしてしばらく行くと3人の女性たちがおしゃべりしていたので、「すみません、布袋様はどちらでしょうか?」と尋ねました。
どうやら何度もこちらに来ているということで、わかりやすく教えて下さいました。
途中、タヌキの置物があったり、かわいい花たちがそよいでいたり・・・
さらに行くと左手に見えてきました。
笑顔の布袋様
ん! 布袋様って・・・どんな方だっけ??
ここは、Wikipediaさんに教えていただきましょう!
本来の名は釈契此(しゃくかいし)であるが[2]、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられた。四明県の出身という説もあるが、出身地も俗姓も不明である。図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという[1]。なお、布袋が背負っているこの袋は堪忍袋ともいわれる。
雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかった[要出典]、あるいは人の吉凶を言い当てたなどという類の逸話が伝えられる[1]。
謎めいた公案のような問答も残されている[1]。偈や歌も残しており、歌の中では、心の真実の大切さや、閑たる心境を求めることを説く[1]。
その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類している。天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり(貞明3年(917)に嶽林寺で遷化したという説もある[1])埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである[1]。その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。
布袋が死の間際に残した偈文が、
彌勒真彌勒 分身千百億(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)
時時示時分 時人自不識(時時に時人に示すも時人は自ら識らず)—布袋和尚、景徳傳燈録
まだまだ書いてあります。
つづきが気になる方は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A2%8B
いい笑顔ですね。
布袋様の様にいつもニコニコ笑顔で、嫌なことや愚痴や怒りや・・・ネガティブなことは堪忍袋に詰め込んで、元気に過ごしましょう。
「布袋様、何処を指さしているんだろうね~?」と話していたら、
「布袋様の指さす方向に幸せがある! どうやらここの門を指さしているようです。」
・・・と誰かが言っていた。・・・とそばにいた男性が教えてくれました。
布袋様のおなかが黒いのは、みんなが撫でているからです。
時計回りになでるといいそうです。
元気をもらえるらしいですよ。
そして布袋様の後ろでほほ笑んでいる女性・・・
神様? 仏様? 確か観音様・・・だったかしら??
優しいほほえみ、慈愛に満ちた佇まい。
こんな女性になりたいな~
もう2時半になろうとしていたので、お寺を出て道路を渡ったところにお食事処らしきお店を発見
鉢の木、有名なところよ!
ミニサイズのビールと懐石料理をゆっくりいただいて、たくさん話して横浜駅へ
そこでコーヒーを飲んで家路につきました。
悪い縁を切り良い縁を招き、みんな笑顔で元気になりましょう!!