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シューベルトの生涯って。こんなだったんですね・・・№3

 

前回までの記事

 

vmari-arekore.hatenablog.com

 

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21才・・・1818年7月7 エスターハージ伯爵家の音楽教師として、ハンガリーのツェリスへの5か月の旅券が交付された。

 

エスターハージ伯爵家の二人の令嬢、16歳のマリーアと13歳のカロリーネ

シューベルトは、カロリーネのほっそりとした子供らしい背中に、しぐさに、愛らしい言葉遣いに、自分でも気づかないような優しい恋心を覚えていた。

 

しかし伯爵家の小間使い、皆にペーピと呼ばれた美しいヨゼフィーネとの密やかな恋が始まる頃には、カロリーネはむしろ彼のアバンチュールの噂を面白がった。

愛することができるには、カロリーネはまだ幼すぎた。

 

ヨゼフィーネは彼より少し年上で、男とつきあうことにも慣れて、必死で危険を恐れるすべを心得ていたが、優しく言い寄ってくる彼には心を動かされた。

 

シューベルトとヨゼフィーネ、ふたりの愛の交わりが始まり、やがて晩年のシューベルトを苦しめる病へと続くもとになったとも言われている。

 

この頃、シューベルトの最良の歌い手の一人ともいわれるシェーンシュタインが、彼にその勤めを思い出させ、彼を音楽へ呼び戻した。

 

11月・・・ツェリスを後にするまで、ヨゼフィーネとの愛を重ねた。

 

彼はどこえかえるのか?

彼は家には帰らず、友人の詩人マイアーホーファーのところに転がり込んだ。

 

彼らはほとんど毎晩、宿屋を兼ねた居酒屋へ、私的なパーティーへ、コンサートへ、劇場へ出かけていく。シューベルトは度々フォーグルから招待を受ける。

ひとりでに新しい友人ができるかと思えば、古くからの友人がウィーンをあとにし、いなくなってしまう。

 

22歳・・・ゲーテの詩による、『羊飼いの嘆きの歌』を聴いてください


Schubert D 121 Schäfers Klagelied

 

大学で商法を教え、弁護士としてもウィーン市民に評判の高かったゾンライトナーは、友人や音楽家たちを招き、金曜日ごとに音楽の夕べを催していた。

シューベルトも招待され、今までより注目されるようになった。

 

ゾンライトナーが出版社探しをはじめ、ディァベリ社を説得することに成功し、友人たちが費用の40%をもって、シューベルトの作品が、初めて出版されることになる。

 

23歳・・・バリトン歌手フォーグルとともに北部オーストリアを旅行

『鱒』(ます)として有名な、ピアノ五重奏曲長調


*♪シューベルト: ピアノ五重奏曲 イ長調 「ます」 Op. 114, D. 667 / アンドラーシュ・シフ(ピアノ)、ハーゲン弦楽四重奏団 1983年12月

 

この時期の彼の曲は、受け入れられなかったり、検閲で禁止されたり、上演が中止になったり・・・屈辱感と、失望感の中にいた。

 

彼は、マイアーホーファーの元を離れ、近くで一人暮らしを始めた。

彼は市内で知られ、評論の中で名を挙げられ招待を受けるようになった。

最初の歌曲がいくつか委託出版された。

歌芝居『双子の兄弟』が宮廷オペラ座で上演された。


♪シューベルト:歌劇「双子の兄弟」 D.647 - 序曲 / クリスティアン・ベンダ指揮プラハ・シンフォニア管弦楽団 2006年11月

 

1820年11月21日・・・彼の最初の歌手で、初恋の女性テレーゼは、パン屋の親方ヨーハン・ベルクマンに嫁いだ。「顔にあばたがあり、必ずしも美人とはいえないが、善良な、心から善良な」テレーゼが

 

シューベルトの思いは複雑だったことでしょう。

テレーゼは、シューベルトを待とうと思わなかったのでしょうか・・・

 

24歳・・・1821年4月26日の「ドレスデン夕刊新聞」の短信に、シューベルトのファンの熱狂ぶりを伝えている。

 

シューベルトがたびたび招待を受けるようになると、特に裕福な友人たちは、彼の身の回りまで気を配ってくれるようになった。

大家への支払いが何か月も滞ったり、背広の仕立て代がなかなか支払われなかったりと。彼はそれを忘れる、それを押しのける。

 

そんなシューベルトの無頓着さが、ほおっておけなかったのでしょうね。

 

書籍商のヨーゼフ・フーバーは、シューベルトよりゆうに頭ふたつも背が高かったため、彼はこの男と並んで散歩することを避けていたが、このフーバーが最近、画家のレーオポルト・フォン・ぺルヴィーザーとともに彼の強力な後援者の一人になり、しばらくすると部屋まで貸してくれた。皆を盟友の様に堅く結びつけた集い、シューベルティアーデの始まりを、ある手紙で語っている。

 

シューベルティアシューベルトを囲む、音楽を奏でる夕べの集いで、何よりもまず彼と彼の音楽に関するものであるが、うきうきした彼らは、さらに深夜あるいは朝まで上機嫌で、お祭り気分が冷めやらない。楽しみのあとにはひどい二日酔いが待っていることも稀ではない。

 

シューベルトは、彼を援助してくれるショーバーと旅をし、夏から秋を過ごす。

このときにも、アッツェン・ブルックドイツ舞曲が生まれている。

ウィーンに着くと、ショーバーが母と妹ゾフィーと一緒に住まないかと誘った。

 

シューベルティアーデは、相変わらず仲間たちによって催されていた。

 

ある日曜のこと、シューベルトは、カロリーネ・エスターハージを見かけた。

彼女はもう子どもではないが、それでもやはり子どもで、その子を彼は忘れることができず、ずっと愛していた。

まるで彼の思いが偶然、通じたかのように、エスターハージ伯爵がコンサートをするからと、彼を招待してきた。

エスターハージの館で、カロリーネに挨拶をしたとき、彼女は彼にほとんど気づいていないように思えた。それどころか拍手もそこそこに、彼が知らない、また知りたくもない若い男ときゃっきゃ笑っている

 

切ないですね・・・

 

一緒に街の女のところへ行こう、シューベルト

ショーバーはドナウ河畔の娼婦街の女に夢中になっていたのかもしれない。

あの女たちは優しいんだ。なんでもかなえてくれる、どんなばかばかしい願いだってね。 さあ、行こう。

 

シューベルトは、ある日誘惑に負けてしまう。

 

さあ、次回が最後になります。

 

シューベルトはどうなるのでしょうか?

 

どんな曲が生み出されるのでしょうか?

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この本と、Wikipediaを参考・引用しながら、youtubeの音楽の力を借りて、私の思いもちりばめました。

今回も、読んでいただいて、ありがとうございます、